据え膳もないはなし
「好きかどうかなんて、したいと思うかどうかじゃないの」
好きって何だっけ、恋って何だっけ。とぼやいた私に「お前は中学生かw」と笑って、同僚がさらっと言い放った。定時後のフロアで。
マスクの下で盛大に吹いた。ここは居酒屋じゃ、ないんだぞ。そんな大人しそうな顔して真顔で言うことかな。とは言わない。
絶対そんなこと言わないタイプの子だと思ってたのに、斜め上の答えよりも、そんなこと言うなんてな…と、私が凍りついた。寝付くのに2時間かかってたのに、そんなパワーワードのせいで月曜はスヤッと寝てた。寝れた?と聞かれたけど、寝れた、でもちょっともやっとしてる。そんなこと考えたこともなかった。
もうそんなキャッキャする年齢じゃないんだよ、と。いやでも今時の中学生でもそこまで考えなくない??????
と思ってボスに相談したら「お前は高校生か」って言われた。中学生かって言いかけてやめたらしいんだけど、もう同僚に言われてるんで、と伝えたら笑ってた。でも背伸びして取り繕うような恋は恋じゃなくて憧れで、そんなの数ヶ月で剥がれるよ、と呟く横顔は割と凛々しい。さすが妻帯者、言葉が重い。
先輩に相談したら、Googleに聞きなよって言いながら割とまじめに答えてくれた。なんのこった。
事の発端は、日曜深夜に私が急に「好きってなんだっけ」と自問し始めた事なのだけれど、なんだか近頃浮いた話から遠ざかり過ぎたせいで、好き、という感覚をド忘れしたのであった。そこからなのである。
なんで就寝に2時間かかったのかと思えば、不貞寝して寝坊するのかね。朝起きてぎょっとした。
勇気の使い所を見誤った、わけではない、けど、立派な肩透かし喰らったって思い込む程度には、それなりに落ち込んでいる。私ってなんなんだw人を好きになったらダメな体質になっとるんか私はwww
立派でいなきゃ、と、どうにか与えられた仕事をやりながら生き続けるのは限界がある。心のピンヒールはずっと痛い。
でも、たとえば無意識でよ、喜怒哀楽を全面に出していたり、気づいたら隣で眠っちゃってたり。そういう人が隣にいる方がきっといい。私の場合は。
だけどもう傷つきたくないやん。この歳だからゆえの開き直りと、裏側には怖いなってのが同居してる。
だから、好きってことを勘違いしたくないのだ。そういうことか。
などと考えてしまった。ああ仕事やん。
もやもやのはなし
あの時本当に誰も触れてくれなくて良かった。家族すら一言も言葉にしてくれなかったのは、たぶん奇跡なんだろうなぁ。という意味ではきっと救われてる。
うん、件の話だよ。
金曜のFCお知らせメールを見て、動画を見ないまま生きてたけど、TLのフォロワさん達を見てたら、疑念は確信に変わっちゃって、それから1人帰りの電車で、ようやく動画を見たのでした。
なんだかただただ切なくて、金曜の晩にはとてもじゃないけど似つかわしくなく、けれども何となく彼らなりの誠実が滲んでた。しょっぱかった。
ちなみに私はNEWSだとシゲ担なので、なんともかんとも。
敢えて触れないようにしていたのもあったし、触れたところで私には少し遠い話かもしれないしと躊躇っていました。
覆水は盆に返らないし。ただただ、アイドルも中身は人間だなってこと。そこにヒトの心があって、ファンを楽しませたい思いと、自分の信念みたいな奔放さがごった煮だったんかな。きっとそうなんだなって。知らんけど。
当たり前だけど、彼を取り巻く人間はいろんな角度にいて、見え方が違うのだから、私たちは私たちから見える角度で悲しんだり怒ったりするし、それだけでいいじゃないって思う。
芸能人がすぐ叩かれるのに、私たちってそれに比べたら程度はあれどって感じだと思うのだが。芸能人たちは、そこから見える角度でしゃべっとる。と、おもう。たぶんそう。知らんけど。
だからどっちかっていうと、彼を取り巻く世界の反応に疲れてたな。笑
触れられたくない、と思っていたのは少なからずショックだったからだと思うし、なんというか、外野に根掘り葉掘り聞かれることほどしんどいことはない。
葬式だって聞かんだろ。それなりにそっとするだろ。何かそれに近いような。どうしたって言葉はうまく紡げなかったりするもんよ。ね。
私も一応働く人間なんだけど、身内が仕事辞めたぐらいで謝るなんてないし(よっぽどその人が酷い目に遭ってたけど云々、だったら別腹)なんか、残った3人が謝るのも個人的には違和感だった…。
あなたたちは悪くないのであって、結果的に守れなかった、というのはそりゃ言葉の問題でして、と思ってる。
つらいな。そりゃ4人でステージに立つことをファンは待ってただろうけどさ。ということで動画も1回しか見れなかった。
そんな日々です。それとなく心の隅に棲みついてるので、拭いながらモンハンしてます(元気かよ)
なんかどうやったら前向きになるんだろうと思ってたら、この曲にぶちあたった。
きっとこれ。
大橋トリオ/ A BIRD
どうせなら優しく前を向きたいじゃない。みんな鳥だったのよ。きっと。
推しは推せるときに推せって言うけどさ。
何百回経験してもきっと後悔はするもんだと思うの。別れ方が違うとて、結局別れに後悔はついて回っちゃう。
けど、どうせならSTORY完結させてほしかったなって、いちオタクとしては思うよね。公演中止なら諦めもつくかも知れんけど、一縷の望みを持っていたオタクにはきついぜ。
とりあえず、そっとじっとしておきます。
1度のごめんね、のはなし
遠くに行っちゃいたい、と、思い始める。
恋の仕方なんて忘れちゃったよママ。
帰ろうとしたら、上のフロアの先輩に会う。珍しいね、もう帰るの?と笑う先輩と私は、春先のド繁忙期に退館時間を競うぐらいだったんだけどさ、私は夏にかけての閑散期の入り口だったもんで。
早く帰るなら恋愛もちゃんとしときなよ〜!と、実母ですら言わない宿題を言い残して颯爽とフロアに戻っていった。
昨日は妙に風が強くて、すこしひんやりしてて、なんか季節を忘れてしまいそうになって。恋愛の作法もたぶん忘れてしまったな。
私が憧れる人は物理的に遠いし、ただでさえ会える時間も回数も限られていたのに、コロナ禍でほぼ死滅している。なんでウイルスが死滅しないんだろ。はて。
ほんとうに、恋って何だったっけ。
あの人がかっこいいとか、こんな話をして胸がときめいた、とか、そんな気持ちは多分とても昔に置き去りにしちゃったような。はて。
はてな。埋めてはないんだけどな。
500の甘い言葉より、たった1度のごめんね、が、心を打つこともある。
ヒトの心ってわかんない。それでも、そのひとつは、夜空に灯る光みたいに輝いてしまう。私の頭上でずっときらきら。
ありがとう、と、ごめんね、が、言えるうちはきっといい。そんな人と、おはよう、と、おやすみ、が、言えるようになったらきっと幸せ。かもしれないけど、幸せはその人が決めるもんだって何かどこかで読んだね。そういえばね。
距離なんて飛び越えてしまう、とはよく言ったもんで。
でもやっぱり恋の作法を忘れてしまった。大変だわ、どこから思い出せばいいんだろう。と、思った時に、自分はド新規から相手を見つけるのではなく、いま近くにいる人の延長なんだろうな、という変な悟りを開いたのでした。
なんか梅雨の中休み、太陽が眩しすぎてもうほぼ夏。
終わりの始まりのはなし
新陳代謝って言葉は、あらゆる、生まれ変わりゆくもののためにあるんだと思うし、備わった機能なんだと思う。
私の細胞が生まれ変わって、1秒前の私がもう別の私になるみたいに。私達の繋がり方も、組織の在り方もずっと同じではない。のかもしれない。
じわじわと暑いのも、なんだかあの新宿の雨の夜を思い出させる。もうすぐ季節がまわるな。
いろんな会議が書面とかメールとかに変わっていって、なんというかやる気が出ない。ということに気づいたのです。
このまま今の活動に幕を下ろしてしまったら、わたし虚無になるんじゃないだろうか。という謎の不安がすごい。笑
やっぱ人と会わないとやる気出ないなって再認識してる。
さて。
終わることに怯えてるのに、
なんの取り柄もない人間が
2年間抗ってみたよって話をします。
振り返った時に、たぶんこういう日々が来ることを私は1ミリ単位も想像していなかったので。
そして、終わる瞬間に同じことを語れない気がするので、今のうちに綴っておきたいと思う。
大学を卒業して、今のお仕事を始めて10年目ぐらいのいま、思ってもないことの連続の中に、3年目から今の出来事が色濃く生きているのです。
誰が今のポジションを想像したかって聞いたら、誰も想像してなかった。私を引き込んでくれた上司ですら、「書記次長やってくれて嬉しかったけど、ここまでは思ってなかった」と笑ってた。笑い事かよ。今となっては笑い事か。
このバトンをもらった時に、自分の周りよりも、お外の組織の人のほうが励ましてくれたな。なんだかな。
わたし?そんなすごくない、前任やその前任、歴代の人に比べたら勝るような能力もない。まして一緒に肩を並べる人たちのような経歴もなければ、書記長でも副委員長でもない。
だからそんなに触れないでほしい。前任に連れられて挨拶回りした私の顔は、とても引きつっていたというか、ともすれば死んでいたかもしれない既に。
懇親会の司会(!)なんてもうご飯の味も覚えてない。とりあえずいつもの朝礼のテンションでやってみただけ。それも上司が「お前ならできる」とだけ言って送り出したからです。いつもの私を、丁寧にやろう。それだけ。
「司会、お疲れさま」
帰り際に、これまで何回かしか会ったことのない先輩に声をかけてもらって、いろんなものが崩れちゃって、私を見ている人がいる、と嫌でも気付かされる。
今だって思っている、私なんて。なんで私が。
私で良かったのか、ということは私が決めることではない。当たり前だけど7割ぐらいは用意されたレールがあって、シナリオは私が多分6割ぐらい書き換えている。
そんな折、入れ替わって去っていく戦友みたいな人からメールをもらったのだけど、そこに綴られていた言葉に、私はすこし勇気をもらった。
皮肉なことに私を支えるのは、いつも現役の身内じゃない。いや、支えてくれているけれども、私が私を認められないから。
「あなたのポジションが特別視されるのではなく、どんな人も担えるほうがいい」
という、意訳です。でもね、ああそうだね、って思って、私は「私みたいな平凡なやつでも務められる役割なんですよ」という、いい意味でハードルを下げられるようになるしかなかった。と、言い聞かせて走ることにした。わたしの肩書きのせいで、わたしが思うように動くことができなくて歯痒い思いもたくさんしたけれど。なんで他の人ができたことに、私はこんなに制限をかけられないといけないのだと憤慨することもあったし、本気で怒ったこともあったっけ。
「お前らの伝書鳩じゃねえんだよいい加減にしろ。伝書鳩やるための2年間じゃない」とっても気に入ってる。
なんもない。職制上もしがない平社員だけど
なんもない、そういう仮面で生きていく。
というのは、あんまり簡単というか、生き易くはないのだよ。
私は人の2.5倍ぐらい承認欲求が強い子に育ったから。
中学生のころいじめに遭っていて、死にたいと思いすぎて私がこの世からいなくなったみたいな1年半ぐらいの反動がでかくて(なんでか謎だけど)
私はここにいますよーって言いたい人間だから。なんもない、という顔をして生きるのはちょっとね。
この肩書きでは足りないのよ。もやもやもやもや。
という、平民のふりをする本当の平民として2年間を生きていたのでした。ちゃんちゃん。
ね、私はちゃんと普通だったでしょう。と言いたい。
なんの取り柄もないアラサー女子()とて、24ヶ月も息をして、モノを言ってたまにすごい怒られてみたりして、それでもちゃんと立っていたでしょう。陰で!!!!!めちゃくちゃ泣いたけどぉ!!!
取り立てて私が重宝された場面は、たぶん私じゃなくて「女」が必要とされたとこだけなん。いやらしい意味ではなく、男女が共に活躍するという場面において、女性が必要だよね、という、パーソナリティじゃなくてジェンダーが求められてしまったんじゃないかしら。と、思ってる。
死ぬほど嫌だし噛みついたけども、噛みついてばっかりではまずい肉の味しかしない。だったら求められるわたしを演ればいい。
職場の同僚が言った。「○○ちゃん(私)って、上司引きずり下ろしてでも自分が上にあがりたいでしょ」というそれは、何となく真理なのかもしれない。
先輩が言った。「こういう場に立つなら、自分のためになるような、いい使い方もしていい」というそれは、もしかしたら私を正当化する自分なりの理由にしてるんだけど、嘘を言わない人だからさ。多分そうなんだろな。
いい顔をして、心のピンヒールで踏んづけていく。そういう2年間。に、しようって。
それで私の役割は果たされた。
別に、きっと「女の子」が重宝されなくてもいい。この24ヶ月が偶然だったわけであって、私が女に生まれていて、自分にとって人に恵まれていたから起きちゃった奇跡の成れの果てなので。
もう世の中はジェンダーレスだもの。男か女の二択では生きられまいよ。
なんか、跡を継ぐとかどうとか、そういうのはどうでもいい()良くないんだけど、自分の感覚は普通じゃなかったから、そういう物差しは使っちゃいけないと思ってる。
必要なのはわかってるけど、言っても変わらなかった環境に対して自分の可愛い後輩を放り込みたいとは思わない。まだ。まだだ。
上司もとい先輩というかOBに言われたのが
お前が行こうとしてるとこは綺麗な事ばっかりじゃなくて、グレーも呑み込めるぐらいじゃないとしんどいよ。って。
そうだねって思う。思ってても呑めなかった。変なとこが最後まで頑固だった気がする。
長かったな(笑)
だから、たぶん私よりすごいアナタは大丈夫だと思う。だって組織の真ん前に立つってことは、少なくともひとりぼっちじゃないんだぜ。仮に1人だとしても、たぶん外にはアナタを見てる人がいるんだぜ。
ということを伝えて、私は静かに舞台を降りたい。きちんと、笑って。
否、ほんとは降りたくないと思っていて、まだやり残したことがあるからさ……まあ、いいけどさ…。コロナでいろいろ流れたからもう1期延長とかないかな〜というクソ甘なことを考えている。奇跡が起きるわけない。
ということを、ずうっと考えている。
どこかで遺言みたいに吐いておきたかったんです。
始まった瞬間に、どこかに終わりみたいなものがあって、知らないうちに終わりに向かって生きてる。
だから、いつか全部終わっちゃってさ、私がなんの変哲もない人間になっても、肩書きのない人間になっても、今みたいに会って笑って美味しいお酒を飲みたい。
そんなことをつくづく思うよ。毎日バカみたいにLINE通話したりLINEしたり、なんか、そんな楽しいことが今だけなんじゃないかって怖い。そゆことを素直に伝えたい。なんてさ。思ったよ。
終わらないと新しい出会いはないんだろうけど、まだ今の場所にいる術をアホみたいに考えたいや。
変わってしまったはなし
裸足で歩くほど強くできてない。
生きてます。そう、生きてるだけ。
ご飯が食べられればそれでいい、と、今は思ってます。
いまの生活や生き方で正しさを測るのは難しい気がするので。ね。
圧倒的に中にいる時間が増えて、今まで関わっていた人たちとの関わり方もとても変わってしまった。
いつも毎月の会議で会って可愛がってくれてた先輩たちとも、もちろん飲めず会えず、ただしモンハンで繋がるという新しい形式がねえ…どうしてこうなったw
という面白おかしいこともあるけど、そういうことばっかりじゃない、たぶん。きっと。さ。
人に会わない分、いまの発達しすぎたツールは、私にはちょっと息苦しいことがたくさんある。
便利ってありがたいね、という裏側に寂しさみたいな、孤独みたいなものが隠れてたんだと思う。
筆を折ろうと思ったのは急ではないし、なんというか、私の書いた作品ってなんだろな。て思う。
私はすごくどれも愛おしいんだけど、温度感みたいなのがある。
書いても無反応ならやめてもいい、と思ったのは何となく最近だったりする。趣味だし、誰にも怒られることも咎められることもないよね。っていう負のループは、空腹を満たしても脳みそぐるぐるしてた。
私の作品を好きだと言ってくれたあの子もたぶん、新しい作品を生み出さない私には興味ないんでしょう。
うーん、私も普通の人間なんだ。私は書くことでご飯を食べているわけじゃないし、やっぱ発言することでもご飯を食べているわけじゃない。
書いて置いてみた先の人とか、発言した先の人に届かないなら、それほどしんどいことはない。
というか、Twitterというツールとそりが合わないんだろうな。他人同士の会話が見えるのがさ。
ということを考えた。
考えてすこしだけ筆を握ったままでいるよ、まだ。
ふと、4人で遊び始めてから、2度目の夏がやってくることを思い出す。
2度目の春は噛み締める暇もなく飛んでいってしまったな。私の中ではずうっと反芻してたけどさ。そりゃ噛み締めてないよ。味がしなかったよ。
恵比寿の飲み屋で、もう7割ぐらい眠りそうになりながら、テーブルの下で手を繋がれたこと。
私を送り届ける電車の中で囁く魔法の言葉と、品川で見送る真っ黒な春服。
そんな景色は、思い出してももう戻らない、優しくて苦いだけの思い出になってしまった。
なので供養する。
結局誰のことも好きではない、というフレーズはたぶん彼のためにもある。だから甘い言葉が湧き水みたいに溢れるのだ。たぶん。
誰かを殺したような目の奥で、もう少し見つめ合っていたかったな。
そんな願いが生まれることすらも、変わっていく世界と生活のせいか。な。
ということを思います。
最初から優しい手を掴んでおけばよかったね。はてはて。
さて、お仕事の時間。
独り言のはなし
昨日、デニムのジャケットが暑くて、家を出て10分で脱いだ。切ない、夏が早いですね。
ゴールデンウィークが始まりまして、ってニュースで見たけど、カレンダー的には細切れじゃない?どこから連休なの?もはや謎すぎてスカスカの改札を通る。虚しいとかではなく、一周回って冒険みたいな気分です。世界が死ぬときでもこんな静かじゃないんだろうな。よくわかんないけど。
あ、先に紹介だけしておきます。
なんとなく独り言の配信を始めました。
https://radiotalk.jp/talk/272549
特に実のある話なわけもなく、ただ喋りたい時に喋る、壁打ちみたいな時間です。
でももしかしたら、壁打ちじゃなくなることもあるかもしれない。しれないだけ。
なんか雑音欲しいな、ってなったら、よしなに。リアルタイムの配信じゃないから、毎回分が残ります。わーい。
あのね、元気?って聞くのをしばらくやめた。
こんな状況下で元気って、何をもって元気なんだってよく分からなくなったので。とりあえず生きてれば良くない?
生きてる?って聞いてみることにしたんですが、他にいい聞き方があったら教えてくださいませ。生きてるかって、そりゃ見りゃわかるな。でも今はそれでいいんだと思う。
元気?も、頑張れ、もそぐわない。
みんな生きるのに必死やん。この世界いつからサバイバルになったし。
なんか私の周りはいろいろ落ち着かなくて、今は触れられない、いや、今じゃなくてずっと触れられないかもしれないんだけど、難しいな。
こういう時に人の本性が出るって言うし、そうだねーって思わなくもないけど、こういう時の人への接し方だって難しい。
あー、難しいな。わたしシャッター全部閉めちゃうから下手くそw
奇数って苦手。思ってたけど、二人とか四人が一番心地よい。心臓の裏まで食われるぐらい緊張しても、百個嘘を並べられても。
いつの間にか私がいなくなる感覚って、あれ何なんだろ。このまま消えても気付かないんじゃない?って思ったこと数知れず。
私はなんとなく影が薄いタイプの人間なので、多分いなくても一緒、みたいな気持ちがどんどん強くなる。良くないよくない。
でも、なんとなくさ、主張すると、スルーされる怖さみたいなのがずっと付き纏っていて、ここ最近はそゆのにすごい疲れてしまった。
壁に話してんじゃねーよ、お前に用があって話してんだよって。なんかシカトされてる気分。それどこじゃないんじゃないって言われても、それどこじゃないこと言えるやろ何のための口やねん。と、めんどくさいから言うのやめた。
積極的に関わってね、と言われるから関わっても、スルーされたら一緒やん。どの口が言うとるんや。
対面という機会がことごとく失われて、LINEとかメールっていうのが増えたけど、正直なんとなくついてゆけてない。文明という意味ではなく、スピード。
たぶん自分基準で見るからしんどいのだ。周りが速い!!!ってパニック起こす。ついていけなくなってフェードアウトする。
私は咀嚼して自分の言葉でしゃべりたい人間だから、書き言葉って得意ではない、ということにここ最近の何やかんやで気づいてしまった。きっと気づいた人は他にもいる。咀嚼がゆっくりだから、ついてゆけなくて息切れする。息切れして、なんとなく遠ざかる背中を見ながら、そうっと息を止める。うまい。そうやって私は昨日もプレステの電源を落としました()
伝えるって難しいよね。緊張しまくってでもキャッチボールできる方がまだマシ。
なんだか夏の匂いが早い。気がついたら、軒先のバラが咲こうとしていました。梅雨を忘れそうな気がする。
そんなゴールデンウィークの幕開けです。太陽がまぶしい。
毒と普通のはなし
ちょっとだけ旅に出ましたの話をします。
ミュージカル『悪魔の毒毒モンスター』を観てきました。
あ、ほんとは翌日も『Endless SHOCK』を観る予定だったわけですが……コロナあんちくしょうめに潰される。コロナ絶許。
その話は後でする。
つまるところ東京に乗り込んだんですが、道中いろいろギョッとすることだらけ。あれ日本は死んだの?
伊丹空港も人が少ない。なんか乗った便がアレだったのか、それとも連休中日で移動がそもそも少ないのかわからないんだけど、飛行機が空いてる。窓際すら空いてる。
空港に行く時に乗ったモノレールは、万博公園駅でどかっと下車して行ったけどね……それにしても何か、ちょっと怖かった。というか、私っていけないことしてるんか?みたいな気持ちにもなった。唯一救いだったのが、乗ったJALがいつも通りのサービスを実施してくれたこと。いつもの素敵な笑顔で迎えてくれたこと。
羽田から都心に移動する時もうっすら怖いなぁなんてことを思っていて、たまに芝近辺とかで公園に親子連れがたくさんいたり、テントがちらほら見えたけど。
高輪ゲートウェイ駅はわんさか人いるし、東京駅ちょっと空いてるし、かといって、アキバは人が多く見えたし、なんだこれ。すごく曖昧。
とか言いながら、悪魔の毒毒モンスター、観てきました。
実は、SHOCKが中止になったことで、正直このままフツーに観に行っていいんだろうかとも思ったんです。
SHOCKはいろんな事も勘案して中止って判断に至ったのだろうけど。
けど、自担が頑張ってる姿は見たい。リスク背負ってまで見る必要あるかって言われると、ない。
けどまあ、このまま規則正しく自粛が続いたら、経済が死ぬ前に私の心が死ぬ。と思った。
死んだらなんも楽しめねえ。
それに私は、毒毒14日の公演が振替になったんだけど、振替はもう行けないことがわかってたので。
エンタメはまだ心から楽しめる段階ではないかもしれない。けど、幕が上がる、そこに惜しみなく注がれる労力を見届けたい。と、わたしは飛行機に乗り込んだのだった。
私にはまだ幸いなことに仕事がある。(というか、多分すぐにコロナの影響が出ないのかもしれない)
でも、友達の中には、会社が倒産することになって、いま必死で仕事探してる子もいる。
そりゃ出歩く人は出歩くけど、あの得体の知れないものを前に、自粛してね、なんて言われたら大多数が自粛するやろし。
なんか、お金配っても自粛が続いたらどうにもならん気がしてる。出るお金もないけど、そのお金が回らんかったら入ってくるお金もないわけでして。
私はきちんと自分の働いたお金で、楽しんで、どこかにお金を払って、それが誰かの生きる糧になるんだったらそれはお互い様なんじゃないかなと思う。ので、使いたい。つうか何も考えずに使いたい。私も誰かの支払うお金でご飯食べさせてもらってるしオタクやらせてもらってる。別に今始まったことじゃないんだけど、ずっとその繰り返しで成り立ってたってことは、こういう時じゃないとちゃんと意識しない。
自己責任論の風潮が強いのかしら。
イベントも何もかんも、主催者の判断でやってね。て。
そら……あれだけのお金と時間をかけてきたものが何の補償もされないなら、感染リスク下げる努力してやるとこもあるだろーよ。ファンだって、やりません!中止!ってなった方が幾ばくか楽な人もいるだろうし、なんだか難しいなあって。(嫌なら行かなければいい、払い戻せばいい、という考えもあるだろうけど、これってステージに立つ人の顔が見えるからこそ、そこまで割り切るのもなかなか難しい人もいるでしょうし)
主催者の判断のもと。私たちは自分の責任のもと。でも、感染するかもってリスクだけじゃなくて、無症状でウイルス持ってたら、感染させるリスクまで負ってるわけでして、ねえ。なんだかねえ、と思ってしまう。
難しいねえ。
なんだか東日本大震災の時とは違う、すこし歪な自粛ムードを感じます。
ということを途中まで考えて、本編はめちゃくちゃ笑ってきた。楽しむときは楽しまないと演者さんスタッフさんに失礼。
Twitterで、「子供に見せたくないミュージカル」って書いてあるの見かけたけど、なるほどなって。笑
底抜けに下品だけどパワフルでまっすぐ。ブラックユーモア、なんだかタイムリーなやつある?とも思いながら、マスクの下で笑ってしまいました。
ペンラ振るのも楽しかった。両隣のお姉さんもお一人さまだったので、なんか淡々とペンラ振るの気楽。
福ちゃんはいつもどこか陰のある……というか、すこし心の弱さとずるさを抱き合わせたようなキャラが多いけど、今回、あっ!なんか良かったね!!て観終わって素直に思いました。
そしてあんまりカテコとか喋らない福ちゃん。それでも素敵だった。こういう時だから言葉はいらないと思うし、演者さんが目一杯楽しんでたら、ああ幸せだな、と感じられる。
だから、無事に千秋楽まで幕が開くように祈るばかりです。私とかみんなが生きてるのも、舞台の幕が開くのも、当たり前じゃない。
なんか、平日が普通に仕事なもんでして、割と今回のこの落差のようなものから遠かったんだけど。
思いのほかショックだったかもしれない。ショックというか、なんかこの、この、変な不自由さ。いつも通りに楽しむのは、悪なのかしら、とさえ思ってしまう。
いやもしかしたら、そことちゃんと向き合わないといけないのかも、などと思ったのであった。そこを間違えたら、ぜんぶ殺してしまう。
いま深草で下車した子たちは、私の遠い後輩なんかなぁ。なんか、先輩が大学に雀卓持ってきて昼休みに遊んでたのを思い出す。そんな旅の終わり。
今日はしっかり手を洗ってうがいして、よく眠ろう。