冬の入り口を眺めるはなし
久しぶりになっちゃった。
いろいろあったけど心臓は動いていて、規則正しく息をしています。そういえば前に書いてた胃カメラの検査は、逆流性食道炎としっかり診断されて、しばらく薬とお友達でした。
怖いことに体重がまだ戻らないのである。怖いな。
夏の夜から秋の夜、冬の夜へと渡り歩いていました。
夏に寂しくなって放った私の中の青い鳥が、友達を連れてきてくれて。その手に引かれて、ネットだかゲームの世界だか、それでも私は確かにあたたかい場所にいたのだけれど、それを壊したのもまた私だった。きっかけはもっと遠いところにあったけど、それを掘り起こしたのは私だった。
いつかはこうなっていた、と云って。その子はまだ私と電波の向こうにいる。もう夜更けまでは語らわないけれど、学生の頃のような懐かしい気持ちがそこにある。
青い鳥はその間にも客人を連れて帰ってきた。
とっても眩しくて、でも光に透かしたら消えてしまいそうになる。確かにそこにいて、私が忘れてしまっていた感覚をゆっくり起こしてくれる。
嘘ではなく、愛想を。誰も傷つかないように。
いつしかそんなことを思って言葉を選ぶようになっていた。私という一個人の感情と、組織人という私の立場を天秤にかけるのはとても難しくて、いつの間にか疲れてしまったし、大事なことを言えなかった、私が生まれてしまっていた。
顔も知らない子に余計嫌われたくない。というのは杞憂で、私に鎧を置く場所をそっとくれる。
言葉を選んでるでしょう、と笑う。そりゃそうだ。だから少しその場所借りるね。重たいのよ武装するのも。
好きなものを差し出してくれる。見せてくれる。きっと大事なものもそこにあると思うから、私も惜しみなく並べたい。
そして好きなものがあるなら持っていってほしい。
なんて考えてたら、冬が来てた。そんな感じ。
好きな場所や人が急に遠くなって、私は途方に暮れてたんだと思う。寂しくて走り出して、その先に、いろんな人たちがいた。
後悔があるとすれば、品川の夜に黙って私を丸ごと明け渡してしまえばよかったことぐらい。今ですら新宿の雑踏で初めてみんなと遊んだことも、ホームの階段を上がる私たちをいつまでも見送ってくれたことも、愛おしくて仕方ない。それでも私は、私をいま呼んでくれるところへ向かっている。
捨てたわけではない。今でも私を呼ぶ声はとても心地よいってわかってる。でも、過去は私のことを呼んでくれないし、手を繋いでくれない。
それなら、自分を呼ぶほうへ。自分が求められているところで生きたいと思うじゃないか。そうしたっていいでしょう。
好きだった自分の言葉が出てきた。
たった数ヶ月でこんなに変わってしまったけれど、でも確かに何かに必死だっだ私もいたのな。
http://miiiiiko16g.hatenadiary.jp/entry/2020/06/11/204941
また深夜のコンビニ前で会いましょう。