変わってしまったはなし
裸足で歩くほど強くできてない。
生きてます。そう、生きてるだけ。
ご飯が食べられればそれでいい、と、今は思ってます。
いまの生活や生き方で正しさを測るのは難しい気がするので。ね。
圧倒的に中にいる時間が増えて、今まで関わっていた人たちとの関わり方もとても変わってしまった。
いつも毎月の会議で会って可愛がってくれてた先輩たちとも、もちろん飲めず会えず、ただしモンハンで繋がるという新しい形式がねえ…どうしてこうなったw
という面白おかしいこともあるけど、そういうことばっかりじゃない、たぶん。きっと。さ。
人に会わない分、いまの発達しすぎたツールは、私にはちょっと息苦しいことがたくさんある。
便利ってありがたいね、という裏側に寂しさみたいな、孤独みたいなものが隠れてたんだと思う。
筆を折ろうと思ったのは急ではないし、なんというか、私の書いた作品ってなんだろな。て思う。
私はすごくどれも愛おしいんだけど、温度感みたいなのがある。
書いても無反応ならやめてもいい、と思ったのは何となく最近だったりする。趣味だし、誰にも怒られることも咎められることもないよね。っていう負のループは、空腹を満たしても脳みそぐるぐるしてた。
私の作品を好きだと言ってくれたあの子もたぶん、新しい作品を生み出さない私には興味ないんでしょう。
うーん、私も普通の人間なんだ。私は書くことでご飯を食べているわけじゃないし、やっぱ発言することでもご飯を食べているわけじゃない。
書いて置いてみた先の人とか、発言した先の人に届かないなら、それほどしんどいことはない。
というか、Twitterというツールとそりが合わないんだろうな。他人同士の会話が見えるのがさ。
ということを考えた。
考えてすこしだけ筆を握ったままでいるよ、まだ。
ふと、4人で遊び始めてから、2度目の夏がやってくることを思い出す。
2度目の春は噛み締める暇もなく飛んでいってしまったな。私の中ではずうっと反芻してたけどさ。そりゃ噛み締めてないよ。味がしなかったよ。
恵比寿の飲み屋で、もう7割ぐらい眠りそうになりながら、テーブルの下で手を繋がれたこと。
私を送り届ける電車の中で囁く魔法の言葉と、品川で見送る真っ黒な春服。
そんな景色は、思い出してももう戻らない、優しくて苦いだけの思い出になってしまった。
なので供養する。
結局誰のことも好きではない、というフレーズはたぶん彼のためにもある。だから甘い言葉が湧き水みたいに溢れるのだ。たぶん。
誰かを殺したような目の奥で、もう少し見つめ合っていたかったな。
そんな願いが生まれることすらも、変わっていく世界と生活のせいか。な。
ということを思います。
最初から優しい手を掴んでおけばよかったね。はてはて。
さて、お仕事の時間。