かけらのかけら

ジャニゴトとか日常とか好きなものを好きなだけ

こんなはなし

こんなはなし

 

そういえば10月16日にめでたく歳を重ねました。

おめでたいというか、最早ありがたいな。無事にこの日を迎えられたんだもの。

実はテニスの大坂なおみちゃんも同じ誕生日らしい。職場にも同じ誕生日の人がいたりして、10月16日流行れって思います。

お母さん曰く、生まれてくるのに時間かかったらしく「居心地良かったんか?」と聞かれたんですが、私曰く「たぶんお腹の中出ようとして二度寝した」と思ってます。二度寝グセは出生前から。

去年が節目の歳で、そこから振り返ってみたら
とりあえず面白おかしいことしかありませんでした。(当時はしんどかったけど)
何するにも、仲良くしてくれた兄貴分と姉貴分にべったりだった。し、新しいことがたくさんの一年でした。
失いたくないものばっかり増えて、選択肢だけ迫られて、ない選択肢を作るwそういう悪足掻きは、何歳になってもしていたい。私の良さはそういうとこ、だと思うんです。

して、おめでたいんじゃなくて有難いのは、祖父母の死が大きいんだろな、ってもう10年経ってるけど。

どうやったって私たちの生活は当たり前には紡げない。この手は当たり前に人の手を繋げるわけではなくて、ある日突然失うかもしれないし、ゆっくり時間をかけて失うのかもしれない。

病に伏せてからの二人と過ごす時間は長く、どちらかというと穏やかだったけれど(強調するけど、どちらかというと)、失う日は突然だったから。きっとそれは当たり前じゃないんだわ、と、私が悟ったのは、何でだったのかしら。仏教系の大学に通ってたし、それとなく仏様の教えも受けたけど、ピンと来てなかった。でもやっぱり手を合わせようって思ったのは、二人を失ったからなのであった。皮肉なことである。よね。

 

ありがたい。誕生日もだけど、ほんとは何でもない今日も昨日も明日も明後日も、全部ありがたい。

だからきちんと向き合いたくて、自分のお金も時間もすり減らしちゃっても、色んなところに足を運んだ、と思うのです。

死んだら何も残らないもの。周りには残るかもしれないけど、私には何も残らない。まあ私も残らないんだけどさ!!

 

ほんとにクソだなぁと思うことも普通にあったし、思ったより疲れちゃった。女っていうだけで、どうにもこうにも。私に用はなくて「女」に用があるんだね?あーはいはい使用料取るぞ次から。なんだかなぁ。

あ、でも泣いてる暇がなかった。私らしさって何だろうって最近すごく思うけど、もういいやどうでも、さ、走ろうか。って、気付いたら一年経ってた。

 

顔疲れてましたね、とか、最近らしくない、元気がない、とか、ここに来て散々言われて、そんなことないよ〜へらへら〜って生きてたけど、けど、思っても言うなよ。知ってるよぉ。

疲れてるし全部投げ出したいけど誰も成り代わってくれない。疲れてるね、も、早く帰りなよ、も、その言葉ひとつじゃ無責任だ。私には。

この積み残された事は誰かやってくれるのか?やらないよね?じゃあ結局私がヤルシカナイネ!!!!ってなるんですよ(中国人マフィアの松崎祐介でお楽しみください)

 

ヤルシカナイネ!!!!

いい台詞だよ。SHOW BOYまた観たい。

 

脱線しちゃった。

 

 

っていう、無駄に逞しくなるしかない、そんな日々の積み重ね、でした。

 

私が誕生日の日も仕事で遅くなっちゃって、週末出張でいないしようやく19日に家族でケーキを囲んだのですが。

母がその時に

「皆でお祝いできるの、ありがたいのよね」

と、ぽつりと言うから、そういうこと。ってしみじみした。

生きてて良かった。とは口にできませんでしたが、良かったんです。結構しんどかった。ああ私って何のために働いてんだ???生きてんのかな???って思ってたけど世間からサヨナラしなくて良かった。生きてるだけで丸儲けってよく言ったもんです。

 

ほんとは生きてるだけでいいのに、私も貴方も、見も知らぬ誰かも、いろんなこと求めるから疲れちゃうんだわね。

そりゃ絶望したら、つらくなるよね。

 

難しいなぁ。と、思います。

 

とりあえず新しい1年の目標は、たくさん人に会うこと。ありがたいことに方々でお声掛け頂いてて、あ〜社交辞令じゃないな、という人にはきちんと逢いに行かなきゃ、と思うわけです。そういう人たちを大事にしたい。

 

がんばろ。

新しい私のこともよろしくお願いします。