かけらのかけら

ジャニゴトとか日常とか好きなものを好きなだけ

世界の果てのはなし

嵐の前夜に産まれたおはなしでした。

新宿三丁目伊勢丹の交差点で小噺一本。

 

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目の前で差し出された傘は、夜の空よりも暗く、どこまでも黒い。が、それは蒼を覆った訳ではない。流れるように、目の前に黒い花が咲く。

愛未に傘を差し出す隼人の姿はそれはもうまるで執事か王子のようだったけれど、当たり前にもなると面白みに欠けた。何の言葉も出ない、興味はあるけれど、ない。自分の神経はどこか死んでしまったのだろうか、不感症か、などと考える。

吹き荒ぶ雨風は、まるで台風がもう近くに差し迫っているのかと思うくらいの強さで、蒼は顔を顰めながら折り畳み傘を開いた。夜の新宿三丁目の交差点は、銀座四丁目とは違う。完全に建物が眠っているようだった。私はやっぱり銀座派だな、などと場違いなことを思う。和光のシンボルみたいな、あの大きな時計を見なければどうにも落ち着かないらしい。

新宿は魔物みたいだ。夢や憧れが煮詰まっているのが渋谷だとしたら、新宿は光と闇が作り出した欲望さえも携えている。それは魔物みたいだと思う。三丁目みたいなところに入ってしまえば、人の欲望がこれでもかというほど溢れかえっている。客引きのボーイや、華やかに着飾った夜蝶、見も知らぬ外国籍の人間。

みんな思い思いの事情を抱えて生きているはずなのに、蒼はそこに立ち止まることを怖いと思った。うっそうとした空気に、吐き気を覚える。

「…新地の方が上品っすよね、なんか」

北新地。ふと関西の歓楽街がよぎって、蒼は思わずごちる。そんな言葉で通じるのかも怪しかったけれど、別にどうでもよかった。

比べてみれば、言葉のままかもしれない。でもどこか清々しく見える。新宿の街は昼も夜も偽らない。上品が正義だなんてそうとは限らないし、偽らざる姿の方が蒼は信用に足る、とさえ思ってしまう。

傘をさすのにまごつく蒼を横目に、悠希が傘をさした。さしてくれないんだな、と思ったのは一瞬だけのことだ。蒼からすれば、大阪に息潜めている北新地も、悠希も、同じようなものだった。表はとても優雅だけど、その下に隠す感情はとても獰猛で、人を喰らう欲望に飢えていることを知っている。

「次!どこ行く?」

愛未は顔色ひとつ変わらない。蒼と悠希は手前のカフェで休憩を挟んだというのに、だ。

最早どこでもいい。カラオケがいいっす、と呟いていたら、ようやく折り畳み傘が開いた。

歩き出した三人を追いかけるように、小走りでついていく。あ、ここいいんじゃない。そうね、それもいいね。と並ぶ隼人と愛未、へらりとついて歩く悠希。世界がいつか終わるなら、こんなふうに笑って誰かの隣で死にたいものだ。

「…怖い街」

うごめく欲望ではお腹も膨れない。そんなことは分かっていた。自分ですらも毒牙の対象になる、この世界はどこまでも腐っていて、気持ち悪くて、だから蓋をしたい。

あれ甘かったなぁ、と、悠希が伸びやかな声を漏らす。あれ、さっき飲んだ、

「…キャラメルマキアートっすか?」

「うん」

「甘いでしょ、そりゃあ」

あんたの声も相当甘いですけど、と、喉の奥ですり潰して、飲み込んでおく。

前を歩く二人が今は憎らしい。そうでなければ、いっそのこと連れ去って欲しかった、あの日かけた魔法みたいに、甘い声で。そうでなければここはこの世の地獄か、それとも世界の果てか。

水溜まりに片足だけ踏み入れる。弱々しくぱしゃりと跳ねかえる水飛沫が、蒼のくるぶしを濡らす。その冷たさに我に返って、半歩歩いた次の瞬間には、次の店で何を飲もうか考え始めていた。

どうせならここが世界の果てがいい。そうしたら、愛を叫んだって、交差点のど真ん中で寝転んだって、きっと自由にできるのに。

左手は空を掴む。その先がないことを知っているから、蒼は交差点の向こうだけをじっと見つめていた。