カフェテラスのはなし
なんとなく思い立つ。
思考と書くことのリハビリです。たまにはこういうのも〜。
本当はバーの話を書きたかったのに、なんでカフェになったのか…(みーこさんあるある)
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足が痛い。信号で立ち止まって、瑠未は溜息を吐いた。
むくみがひどいことは、それとなく分かっている。ひどく腰も痛むし、気分が滅入る。いっそ一思いに殺してほしいと思うことがあるけれど、それでも生まれ変われるなら女がいいなどと願ってしまうから、矛盾の塊なのかもしれない。
外の空気を吸いたくて外出したのは昼過ぎのことだった。せっかくの休日だけれど、どうにも気持ちが落ち着かず、家に閉じこもる気分ではなかった。それに、仕事で使う備品も買っておきたいからと言い聞かせて。
会社に行く時と同じメイクをして、外に出た。誰に会うわけでもないのに、赤いアイシャドウを引くと、それだけで背筋が伸びる。その瞬間が好きだった。でも、それ以外の自分を瑠未は知らない。外に行く時は、誰と会おうが何をしようが、いつも同じ顔を作る。同じ顔をするのに、会社に行けばメイクは崩れる。遊びに行く時はさして崩れない。まるで、嘘が剥がれるのと同じだと思う。
仕上げに黒いマスカラを重ね塗りする。今日は多分、崩れない。そんな気がした。
まだ五月だというのに真夏日を記録したという昼間は、パーカーを羽織っていても暑い。
天気がいいからといって、いつもの買い物エリアを離れて散歩をしたのが間違いだった。暑さなのか、目眩なのか分からないけれど、妙に身体が重たい。
もう駅は近く、用は済ませているから帰るだけなのだけれど、一休み入れようと、瑠未は近くにあったカフェへ足を踏み入れた。お茶どきのピークを超えているからか、おひとり様の席ならちらほらと空きがある。空き席にバッグを置いて、注文カウンターへと並んだ。メニューをざっと流し見する。冷たいメープルラテをひとつ頼んで、席に戻ったのは5分後のことだった。
座ろうとして、自分がキープしていた隣の席に座る男を見やる。あっ、と思わず声が漏れて、男がこちらを見た。
「……相川くん」
「…何でこんなところにいるんですか?」
相川瀬那。瑠未の唯一の後輩である。
そういえば瀬那の自宅がこの辺りだったことを、完全に失念していたし、覚えていたとしても気付かなかった。珍しくメガネを掛け、アイボリーのカーディガンを羽織っている。普段のスーツ姿からは程遠く、逆になぜ気付けたのか自分でも不思議なくらいだった。
「買い物ついでに散歩みたいな?」
適当なことを言ったつもりはないのに、瀬那は反応が薄い。ふうん、と気のない返事をして、グラスに手を伸ばした。けれど、瑠未も何も言わない。瀬那の方が年はひとつ上だし、実年齢で接してくれる方がかえって有難かった。敬語なんてこそばゆいし、息が詰まって仕方ない。
瑠未も隣に腰を下ろし、ようやくメープルラテを口にする。グラスの下に沈んで固まっていた甘い塊が、喉に飛び込んできた。それですら、ちょうどいいと思える。
スマートフォンを出して、溜まっていた通知を確認しては消していく。チャットアプリにも、メールにもたくさんのメッセージが届いているけれど、不要なものを消せば、残ったのは10件にも満たなくなった。
瀬那はといえば、読書に耽っている。何の本までかは分からないけれど、心なしか、メガネの奥の眼差しは柔らかいように思えた。
「…ここのコーヒーが美味しいから、よく寄るんです」
低い声が、唐突に瑠未の鼓膜を撫でる。何でわざわざ出てくるのかと思っていたことを、心の奥を読まれたみたいでどきりとする。その間も瀬那の視線は、文字を追いかけている。
「家で淹れるの面倒なんで」
「……相川くんって、変なところ横着するよね」
「どうせなら美味しいものをいただきたいじゃないですか」
「偏食なのか美食家なのかどっちよ」
「…それは考えたことないや」
集中力が逸れたのか、最後の返事はぶっきらぼうだった。
職場にいる時の瀬那は、基本的に他人行儀が過ぎる。先輩後輩という立ち位置を自然と重んじているのだろうが、住む世界を切り分けられているように思えてしまうのだ。別に付き合っているわけではないから、それぐらいが丁度いい車間距離なのかもしれないけれど。瑠未とて追突事故は起こしたくない。
だから、たまに分からなくなる。心を許してもらったと取っていいのか、ただの偶然なのか。
瀬那の手元にあるグラスは、いつの間にか空っぽになっていた。お気に入りのコーヒーはもうなくなったから、帰るのだろうか。また会社で、と言って別れて、他人行儀な二人を演じるのだろうか。
もう少し、と思ったのは、ただの好奇心かもしれない。様々な感情を通り越して、相川瀬那という人間を知りたくなってしまった。
「相川くん、この後ヒマだったら晩ご飯付き合ってよ」
「…………」
「私、帰ってご飯作るのめんどくさいから、食べて帰ろうと思ってるんだよね」
「勝手に食べて帰ればいいじゃないですか」
「…どうせなら美味しいものをいただきたいでしょう?生きてるんだったら」
数分前に瀬那が呟いた言葉を繰り返す。一瞬だけ眉間に皺が寄ったかと思えば、ふう、と大きく息を吐いた。
「…都心までは出ないですよ」
「当たり前でしょ、私だって人の多いところなんて行きたくないわ」
イエスともノーともはっきり言わないけれど、ノーとは言わなかった。それを都合よく受け取り、瑠未はメープルラテを勢いよく飲む。やっぱりとても甘くて、何だかそれがさっきより甘ったるく感じたのは、味覚ではなく、気持ちの問題なのかもしれない。喉の奥がべったりと重かった。
「なんだか肉が食べたいな」
「いつもじゃないですか。この間の新人歓迎会も肉だったのに」
「うるさいなぁ、相川くんも食べたいもの言いなさいよ」
並んで店を出る。
心なしか憂鬱な気分は少しだけ晴れていた。赤いアイシャドウが目元でキラリと輝くのを、瀬那が見ていることを気付かないまま。
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